大判例

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徳島地方裁判所 昭和48年(ワ)327号 判決

原告

徳川啓介

被告

武知勝

主文

被告は原告に対し二一〇万八、五〇三円および内金一九〇万八、五〇三円に対する昭和四五年一月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告と被告との間に生じた部分はこれを四分し、その三を原告、その余を被告の負担とし、参加によつて生じた部分は補助参加人の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分につき仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金七六〇万円およびこれに対する昭和四五年一月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者双方の主張

一  請求原因

(一)  事故の発生

1 日時 昭和四五年一月二八日午後零時一〇分頃

2 場所 徳島市中吉野町三丁目六三―三先交差点

3 加害車 普通貨物自動車

運転者 被告

4 原告車 軽四輪貨物自動車

運転者 原告

5 態様 原告車が右交差点を減速左折中、原告車との車間距離約三・五メートルで追従していた被告車が原告車に追突した。

(二)  責任原因

被告は、被告車を所有し、自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条により、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任がある。

(三)  受傷、治療経過および後遺症

1 受傷

頸部捻挫

2 治療経過

別紙「治療経過等一覧表」に記載のとおり

3 後遺症

頸部捻挫(むち打ち)後遺症

(症状)

原告は事故発生以来継続して約八年間頸部捻挫を原因として病床にある。今なお身体はバンドを締めただけで苦しくなるような状態であり、歩行も一〇〇メートル位しかできない。事故当時五八キロあつた体重は現在三七キロに減少している。かくて原告は現在に至るも日常生活すら十分にできず、復職も不可能であるが、右後遺症は本件事故による外傷性のものである。

(四)  損害

1 治療関係費 金八五万六、〇〇四円

原告が本件事故による受傷の治療のため支払した各病院における治療費(薬局における薬購入費を含む)は別紙「治療経過等一覧表」に記載のとおり。

2 入院雑費 金一七万九、一〇〇円

入院中一日金三〇〇円の割合による五九七日分

3 通院交通費 金一四万〇、七二〇円

通院のためのタクシー代

4 逸失利益

(1) 休業損害 金六三万二、一六四円

原告は事故当時三五歳で、日本テーラー株式会社のセールスとして勤務し、一ケ月平均七万二、〇〇〇円の収入を得ていたが、本件事故により、昭和四五年二月一日から後遺症の症状が固定した昭和四七年五月三一日まで休業を余儀なくされ、その間金六三万二、一六四円の収入を失なつた。

(2) 後遺症による将来の逸失利益 金一、三七七万五、六一六円

原告は前記後遺障害のため、その労働能力を一〇〇%喪失したものであるところ、原告の就労可能年数は症状固定時の昭和四七年六月一日(四二歳)から二五年間と考えられるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン方式により年五分の中間利息を控除して算定すると金一、三七七万五、六一六円となる。

5 慰藉料 金五〇〇万円

本件受傷による原告の精神的肉体的苦痛を慰藉すべき額は金五〇〇万円(入通院に対する慰藉料金三〇〇万円、後遺症に対する慰藉料金二〇〇万円)が相当である。

6 弁護士費用 金一〇万円

原告訴訟代理人に対する本件訴訟委任の着手金として金一〇万円を要した。

(以上損害合計金二、〇六八万三、六〇四円)

(五)  損害の填補

原告は次のとおり支払を受けた。

1 自賠責保険金

傷害保険金 金五〇万円

後遺症保険金 金一九万円

2 被告弁済金 金一五二万一、〇〇九円

3 休業補償給付金 金七四万一、七二二円

(六)  本訴請求

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定年五分の割合による)を求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の事実中1ないし4(事故発生)は認めるが、5(事故の態様)は争う。

(二)  請求原因(二)は認める。

(三)  請求原因(三)は否認する。

本件事故は原告車の後ろをかすつた程度の軽微な追突事故である。いわゆるむち打ち症によつて一定の治療期間を要し、かなりの神経症状を伴うのはその原因となつた外的衝撃が大きく、少くとも衝突時に被害者の意識障害が発生している場合である。しかも原告の愁訴および症状については他覚的所見を認めることができない。従つて、原告の症状は原告自身の心因的要素もしくは異常な精神神経的原因に帰因するものと考えられ、本件事故とは因果関係がない。

(四)  請求原因(四)は争う。

仮に原告が主張のような治療を受けたとしても、原告の愁訴と本件事故との間に相当因果関係がないから、右治療費は本件事故による損害とはならない。その他の交通費、逸失利益についても、原告の訴える症状は幻覚的かつ心因的なものであるから、いずれも本件事故と因果関係がなく、被告に支払義務はない。

(五)  請求原因(五)は認める。

三  抗弁

(一)  示談契約の成立

本件事故による原告の損害額について昭和四五年三月三日原、被告間で話し合い、被告により原告に対し(1)休業補償二ケ月分金一五万円、(2)右休業期間中の医療費全額を支払うことにより一切を解決する旨の示談契約が成立し、被告は右金員を支払つて、右示談契約の履行を完了した。

(二)  過失相殺

1 本件事故当時、被告が小型貨物自動車を運転して国道一一号線を進行中、事故発生場所の前記交差点において、被告車の前方を進行していた原告車が後方の安全および左折進入しようとする道路の通行状況をよく確認しないまま、いきなり左折を開始したため、折から左側道路によりリヤカーを引いた老女が右交差点に出てくるのに遭遇して、左側道路に進入できなくなり、被告車が後方より進行中の国道上に国道と交差したかたちで急停止した。被告はこれを認めて急ブレーキをかけ、ハンドルを右に切つたが、間に合わず、被告車の左前部が原告車の後部に接触した。

2 従つて、本件事故の態様は原告主張のような単純な追突事故ではない。本件事故の発生については原告にも後方不確認等の過失があるから、損害賠償額の算定にあたり過失相殺されるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

五  再抗弁

(一)  本件示談契約書は自賠責保険金の給付を受けるために必要というので、被告に求められるままに、便宜上作成したもので、原告は本件事故による損害賠償額につき示談書に記載の内容どおりの示談をする意思は有していなかつた。被告もこれを知つていた。従つて、本件示談契約は効果意思を欠き、心裡留保(民法九三条)により無効である。

(二)  本件示談契約は本件事故による原告の受傷が二ケ月で全治することを予想してなしたものである。しかるに、原告は示談後現在まで病状が好転せず、病院を転々としながら、頸部捻挫後遺症に悩み苦しめられている。従つて、本件示談契約には要素の錯誤があるから無効である。

六  再抗弁に対する認否

(一)  再抗弁(一)は否認する。

原告は本件事故の直後何ら自覚症状がなく、数日経過して頭痛などの自覚症状がでてきたが、通院治療が可能な程度のものであつた。そして本件示談契約当時、右症状の見通しがつき、医師も一ケ月で全治するとの診断であつたので、原・被告双方が示談の時期が熟したと判断して、示談の話合をした。示談の内容についても、被告が医師の診断にもとづき休業補償一ケ月を提示したところ、原告より少し余裕をみて二ケ月にしてくれとの要望がだされ、前記内容の示談契約が成立したものである。従つて、示談書は原告がその記載内容どおりの示談をする意思で署名押印したものであり、本件示談契約は有効である。

(二)  再抗弁(二)は否認する。

示談契約後に新たに生じた原告の症状は本件事故と相当因果関係がないから、要素の錯誤が成立する余地はない。仮に原告に本件事故と因果関係のあるむち打ち後遺症状が存するとしても、それは後遺障害等級一四級程度のものにすぎぬから、本件示談契約の効力に何らの影響を及ぼさないというべきである。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

(一)  請求原因(一)の1ないし4は当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いがない甲第一ないし八号証によると次の事実が認められる。本件事故現場は徳島市中吉野町三丁目六三―三先交通整理の行なわれていない交差点で、付近は車両の交通量が多い市街地である。原告は当日商用のため軽四輪貨物自動車(ライトバン)を運転し、徳島市吉野本町方面から東進して、時速約三〇キロメートルで幅員約五メートルの道路中央付近を走行しつつ本件交差点に近づき、また被告は原告車の後方に約三・五メートルの車間距離をおき、時速約三〇キロメートルで普通貨物自動車を運転し、原告車の進路の少し左側後方から追従していた。そして原告は右交差点で左方道路に左折するため、交差点の手前約二〇メートルの地点で方向指示器により左折の合図をしたうえ、少し減速して交差点に接近したが、進入しようとする同交差点の左方道路は交差点と鋭角に交叉し、かつ幅員が約五・五メートルと狭く、交差点入口には人家が建ち並び、左方の交差道路に対する見とおしは全く遮られる状態であつたので、原告車が道路左側端に寄つて左折することが困難であつた。そこで原告は前記進路のままブレーキを踏んで徐行しながら交差点を左折しかけたところ、たまたま左方道路を横断中の歩行者を認め、これとの接触事故を避けるため、急ブレーキをかけて、車体が左に振れた斜めの態勢で交差点内において停止に近い状態になつた。一方、被告は原告において左折合図をしたのを確認できず(確認し得べき状況にあつたと認められる)、自車のやゝ右側を先行する原告車が交差点を左折するとは全く考えていなかつたところ、前記のとおり原告車が交差点入口近くにおいてその進路上から左折を開始するに至つて、はじめて原告車の左折を察知し、あわてて、急ブレーキをかけて、ハンドルを右に切つたが間に合わず、自車の左前部を前記停止状態にあつた原告車の後部に追突させた、以上のとおり認められる。被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用し難い。

(三)  交差点における左折方法に関する当時の道路交通法三四条一項によれば、車両が左折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側に寄り、かつ、徐行しなければならない旨規定するとともに、同条五項は、右のごとく左折車が道路の左側に寄るべく方向指示器によつて合図をしたときは、その後方にある車両は当該合図をした車両の進行を妨げてはならない旨規定している。これらの規定に徴すれば、後方車において先行車の左折合図を確認してから避譲の措置をとるに十分な時間的距離的余裕がある場合、少くとも後方車に対する関係においては、一般に、先行左折車の運転者としては、所定のごとく左折の合図をなして後方車の注意を促し、かつ徐行すれば足りるのであり、かかる措置を講じた以上、後方車との交通の規則は、専ら後方車の適宜な運転方法に委ねている趣旨と解される。

原告は、前認定のごとく、本件交差点の手前約二〇メートルの地点で左折の合図を始め、かつ順次減速して徐行するに至つたものであり、ただ、原告は、直ちに道路左側に寄らずして、前認定のごとき進路よりいわゆる大廻りをしている。しかし、道路交通法三四条一項は「できる限り」左側に寄るべきことを規定したに止まり、本件のごとき道路ならびに交差点の状況の下においては、かかる大廻りをしても直ちに同条項に違反するものとは解されない。そうだとすれば、原告の本件左折方法は十分とはいえなかつたにしろ、過失相殺の対象となるほどの過失はなかつたと認められる。本件事故は専ら被告の前方不注視、車間距離不保持の過失によつて生じたものとみるのが相当である。

従つて、本件においては、原告の損害について過失相殺をするのは相当でない。

二  責任原因

被告が被告車を自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。従つて、被告は自賠法三条により原告に対し本件事故による損害を賠償する義務がある。

三  原告の傷害の治療経過ならびに後遺障害

そこで、被害の判断に先き立ち、原告が本件事故によつて受けた傷害の治療経過とその症状について検討する。証人徳川国義の証言、原告本人尋問の結果の趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証の一、二、同第一一、一二号証の各一ないし三、同第一三号証、同第一四号証の一ないし五、同第一五号証の一、二、同第一六号証、同第一七号証の一、二、同第一八号証の一ないし五、同第一九号証の一ないし三、同第二〇号証の一、二、同第二一ないし二三号証、同第二五号証、同第二八ないし三〇号証、同第三三ないし三五号証、同第三七ないし四六号証、同第四七号証の一ないし七、同第四八ないし五一号証、同第五五号証、同第五八ないし六一号証、同第六三、六四号証の各一、二、同第六六号証の一ないし三、同第六八号証の一、二、同第七七、七八号証、証人徳川国義、国行陸海、井形高明の各証言、原告本人尋問の結果ならびに調査嘱託の結果を総合すると以下のような事実が認められる。

(一)  本件事故後における原告の主たる治療経過は別紙「治療経過等一覧表」(以下単に別表という)のとおりである。すなわち、原告は事故直後には何の症状もなかつたが、事故の翌日体のだるさを訴え、その後頭痛、頸部痛などが出現し、昭和四五年二月五日から別表2のとおり加川医院(外科専門)に通院し、むちうち損傷と診断された(但し、当時のカルテが廃棄されたため症状の詳細は不明である)。次いで原告は昭和四五年三月四日頭痛、頸部痛、めまい、肩凝りを訴えて、別紙3のとおり同年四月二一日まで福田整形外科病院に転通院し、索引、理学療法を受けた。しかし症状は改善せず、他覚所見においても頸椎運動制限、握力の減弱が認められ、頸部捻挫と診断された。そこで、原告は主にめまいを治療するため別表4のとおり同年四月二二日から徳島大学医学部附属病院耳鼻科に入院したが、初診時にはめまいのほかに頸部痛、頭痛、上下肢異常感、全身の倦怠痛などの一層複雑な愁訴があらわれた。入院中も自覚症状は変わらなかつたが(看護日誌には原告が全身疼痛、気分不良をひんぱんに訴えた様子が記載されている)、平衡機能検査を実施した結果、一部に軽度の異常所見が認められ、平衡失調症(末梢性平衡機能異常が主体であるが、中枢性平衡機能異常も否定できない)と診断された。しかし同年五月一三日の退院以後原告に対する通院治療、経過観察がおこなわれなかつたため、同病院でも原告の前記全身の痛みの如き神経症状についてはその原因となるような所見を見極わめることができなかつた。原告は右退院後別表3のとおり前記福田整形外科に再び通院を始め、同年六月九日までの通院中、自覚症状としては主にめまいを訴え、ほかに腰部、両下肢の冷感、全身脱力感などを訴えたが、他覚的には著明な所見が認められなかつた。翌六月一〇日以降原告は近くの岩瀬医院に通院し、後頭部痛、頸部痛、上肢しびれ、倦怠感を訴え、頸部の回施制限、圧痛が認められ、頸椎捻挫むち打ち症と診断された。さらに原告は同医院の紹介で、別表15のとおり指圧療法を受けたが、症状は一進一退であつた。

(二)  次いで、原告は被告の紹介で別表5のとおり昭和四五年八月八日から健生佐古診療所に入通院したが(同病院における詳しい治療経過は同病院がカルテの送付および診断、治療経過の回答に応じなかつたため不詳である)、この間、従前訴えためまい、頸部痛など以外の神経症状の愁訴がますます強まり、またこの頃より医療に対して徐々に不信感を強めた模様である。原告は健生佐古診療所に入院中、同院の紹介により昭和四五年九月一二日徳島大学医学部附属病院精神神経科で外来診察を受けた。その紹介状によると、健生佐古診療所では、原告より「身体が豆腐になつたような感じがする。頸部から腹部、背部にかけて真冬のように冷たく、疼痛がある。下肢は雨に濡れてぞくぞくになつたようだ。鼻の穴が腐つていくようだ。」などの心気的訴えが出されたが、右症状は原告自身の愁訴にもとづく自覚症状のみで、他覚的所見は認められず、検査結果も異常がなかつたので、原告の症状の要因は多分に精神的要素が影響しているのではないかと診断したことが窺える。次に、原告は別表6のとおり後藤田耳鼻咽喉科に入院したが、この時点では、全身針をさすような刺痛、後頭部痛、めまい、耳鳴(蝉が五匹同時に鳴くような感じ)を主訴とし、同院では専門域である平衡機能検査をおこなつた結果一部異常を認めたので、左迷路障害を伴う外傷性頸性症候郡と一応診断した。しかし全体としてみれば平衡機能検査もほぼ正常域であり、特に原告の主訴である全身の痛みについてはそのような異常感覚をもたらす神経学的原因が判明しなかつた。そこで、後藤田耳鼻咽喉科では右原因を究明するため原告を徳大精神神経科に転医させるべく原告を同科に紹介して昭和四五年一一月七日に受診させたところ、同科は外傷性神経症であると診断した。しかし、原告はこの頃より体感幻覚を思わせるようなさまざまの全身の異常感覚を一層ひどく訴えるようになり、その愁訴は増々拡大の傾向をたどるとともに、身体に対する治療に対し非協力的な面がみられるようになる。後藤田医院を退院後、原告は別紙8のとおり、昭和四五年一一月一八日から一三二日間鈴木神経内科医院に入院したが、その期間中自覚症状として、頭痛、頸部筋肉の緊張、肩凝り、不眠、全身の倦怠感、衰弱感のほか全身の骨がばらばらになるようで身体に力が入らぬという心気症的な神経症状を継続して訴えた。しかし、他覚的には、頸部筋肉の緊張以外に特別の所見が認められず、鈴木医院では心理テストの結果を参考にして原告の症状につき「むち打ち症神経症」との診断を下した。

(三)  次いで、原告は別表7〈1〉のとおり昭和四六年三月二四日徳大附属病院精神神経科に転入院し、同年八月一三日まで長期治療を受けた。しかし、症状は不安定で、実にさまざまの自覚症状を毎日ひんぱんに訴え、上半身の異常感(全身が痛い、じかじかする、脊椎から泡が吹きでてくる、体が木の棒みたいなど)、不眠、不安が極めて強くなり、じつとしておれない状態が続いた。持続睡眠療法により一時顔貌、態度に落着きがみられたものの、その後また異常感覚が全身に拡大し、原告は全く自己の身体の症状にとらわれて気分抑うつとなり、作業、レクレーシヨン療法をすすめる医師の説得に応ぜず、薬物療法を用いても症状は増悪するのみで、いずれも途中で中止されたものが多く、原告は入院の終期には医師、治療に対して明らさまに不信感を表明し、民間療法を受けてみたいと希望して、未治のまま退院した。なお原告は右入院中耳鼻咽喉科でも検査を受けたが、軽度の平衡障害が認められ、中枢性平衡機能因子の障害も疑われ、同科ではめまい症と診断した。結局、徳大病院精神神経科では原告の症状につき心理テストの結果等を参考にしてむち打ち損傷後遺症としての神経症(性格的に神経過敏、抑うつ傾向な面があつて、不安感におちいりやすく、身体の不調に著しくこだわり、これに執拗にとらわれ、その過大な表現として前記の如き心気症的な身体反応を自覚症状として訴える)を疑つた。

(四)  原告はかつて別表16のとおり民間の超短波療法を受けたりしたが、徳大を退院する際、医療は信用できないので、医学以外の方法を実行してみると述べ、昭和四六年九月三日から静岡県三島市のヨガ心身療養道場に入会し、ヨガ療法によるかなり荒つぽい心身鍛練を受けたが、何の効果もなく、かえつて食事療法などにより体重が五四kgから四二kgに減少し、同年一二月逃げるようにして道場を退所した。原告は間もなく帰徳して、事故後満二年を経た昭和四七年二月八日から四月二〇日まで再び徳大病院精神神経科に通院を続けたが、この間、全身の筋肉と骨が溶けるような感じがする、体が粘土になつたようだなどと相変らず異常感覚を執拗に訴え、ベルトを締めると痛いといつてズボンのベルトを締めず、腹部の触診を拒否したり、不眠、意欲減退がみられ、また抑うつ気分に支配され、ヨガ療法の導師を恨んだり、易怒興奮的となつて家人に暴言を吐いたりしたが、後頸部圧痛、頸部運動制限以外にはこれといつた他覚的所見に乏しいまま、同科の治療は中止となつた。その後、原告は昭和四七年四月に上京して、横須賀市の弟宅に寄寓し、別表10、11のとおり治療を受けた。別表11の紺野治療室では全身が溶ける感じ、倦怠感、不眠、二重視野などの自覚症状について筋力の低下によるものと診断し(同治療室は従来よりむち打ち損傷を全て筋因性のものとし、筋力の回復とともにむち打ち症状も消えると主張しているもののようである。)、心因性の要素を全く否定した。しかし筋力の低下がなぜ前記のような特異な神経症状をすべてもたらすかについては十分説明されていない。むしろ別表10では原告の自覚症状を神経症と診断した。

(五)  その後、原告はまた弟宅で一年近く静養を続け、昭和四八年一一月七日から別表12のとおり甲州中央温泉病院(山梨県)に入院した。入院中、原告は全身の異常知覚(全身が粘土のような感じ、四肢の筋肉が溶けて流れる感じ)、全身脱力感、呼吸困難、精神不安(明日目がさめた時生きているだろうか)などを訴え、他覚的診断として各種神経学的検査が実施された結果、脊髄側索障害を疑わせる神経学的異常所見が認められたが、原告の愁訴が甚しく多い割に筋萎縮その他の全身的な異常所見は認められなかつた。また脊髄側索障害と原告の前記のような愁訴との関係についてもさらに高度な脳神経外科および精神科による精査が必要であるとされ、医学的に両者を結びつける明確な診断は下し得られなかつた。結局、原告の症状は頸椎捻挫後遺症の疑いと診断されたにとどまり、かつ原告の前記のような愁訴については交通事故を契機とする心因的ないし精神的要因も含まれていることが疑われ、原告は症状不変のまま転医した。なお同病院では原告の就労能力について、本件事故を契機に複雑な家庭環境などの精神的圧力が加わり、現在では就労不能であるが、精神面の安定が得られれば就労可能であると判断した。この間、原告は昭和四八年一月徳島簡易裁判所に対し本件交通事故による損害賠償請求の調停を申し立て、甲州中央温泉病院を退院後再び前記弟宅で一年余り静養し、その間別表18のとおり電波療法を受けた以外はこれといつた治療も受けず、昭和五〇年三月に帰徳するに至つた。

(六)  そして原告は事故五年以上を経過した昭和五〇年五月甲州中央温泉病院の後遺障害診断書を添えて同保険の後遺障害保険金を保険会社に請求した。損害調査を担当した自動車損害賠償責任保険徳島調査事務所では原告の頸椎捻挫後遺症がその自覚症状によると先例に乏しいほど重症であつたことなどから、単なる外傷性のものであるかにつき疑問を抱き、後遺障害の等級決定の参考にするため、委嘱病院である小松島赤十字病院の整形外科において原告の病状を再診察させることにした。かくて原告は本件事故による後遺障害認定のため昭和五〇年六月一三日の初診を経て、同年七月五日から別表13のとおり同病院で第一回目の入院検査を受けた。原告は、受診に際して「全身が沼地に入つた感じ、脱力感、全身に刺痛がある、体幹が揺れている、呼吸困難、気道狭窄感、全身が溶ける感じ」など従前と同様のさまざまの自覚症状を訴えた。右主訴の中には頸椎捻挫の後遺症としては医学的に容易に説明がつきにくいものが含まれていたため、病院では頸椎以外の部位を含め整形外科的検査のみならず、各種の神経学的および精神科学的診察、検査をおこない、他覚的に右症状の原因を究明しようとした。その結果、初診時において、頸椎症状として後屈運動時に疼痛が認められたが、頸椎運動範囲は正常であり、その他の神経学的症状は認められず、脳神経学的には眼振運動も正常で著変は認められなかつた。また入院中の精密検査においても、血液一般検査は正常、肺機能検査は正常で肺活量二、〇〇〇CC(予測肺活量三、五〇〇CC)を示し、椎骨脊髄動脈撮影には異常所見が認められず、X線撮影において頸椎、腹部に著変は認められず、四肢運動、知覚は正常で、腱反射も異常がなかつた。ただ脳波に従前と同様軽度の異常が認められ、平衡機能検査のうち立直り反射検査に高度の障害、視運動眼振検査に軽度不良が認められ、脳幹部分に外傷による何らかの異常の存在を疑わせないこともなかつたが、脳幹の機能を検査するその他の視標追跡眼運動検査などでは眼運動はいずれも正常値を示した。またCMI検査(心因性反応検査)において原告は強度の心因性反応性格を示した。右のような検査結果を総合して、担当の整形外科医は、原告の前記のような自覚症状と他覚的所見の間にあまりに隔たりがあり、少くともこれを認めるに足りる頸椎の神経症状は他覚的に認められず、平衡機能、脳波異常も原告の愁訴と結びつけるには軽度であるとして、原告の前記自覚症状の発現についてはむしろ心因的な要素が強く作用していると考え、「軽度の平衡機能、脳波異常が認められ、原告の後遺症状の原因として外傷性の要因を否定することはできないが、頸椎の神経症状はほとんど認められず、心因的要素が高度に加わつているので、原告の右症状は頸椎捻挫後の不定愁訴である。」と診断した。就労能力についても精神面に問題があつて不就労が継続しているだけであつて、客観的には就労能力は存するものと予測した。前記徳島調査事務所は右診断にもとづき原告の後遺障害等級を一四級と認定した。しかし原告は昭和五〇年八月二日の退院後も症状が一進一退で、改善の兆しがみえないため、自ら希望して別表13のとおり昭和五〇年一〇月二日から小松島赤十字病院整形外科に第二回目の入院をするに至つた。右入院時においても、原告は、「呼吸困難、全身が溶ける感じ、全身の疼痛、全身の冷感、しびれ、胸内苦悶、全身の筋無力、全身が沼の中に入り背骨がくずれる感じ、全身脱力感、頸部は少しの動きで切れてしまう感じ、胃腸はぐちやぐちやになつている、筋肉が腐つている、食道狭窄感」など実に多種多様の自覚症状を毎日ひんぱんに訴え、同科の臨床例でも極めて特異な愁訴を有する患者とみられたが、第一回の入院時において右愁訴は心因性の精神症状による要素が強いと診断されていたので、精神神経科と共診のかたちで診察を受けた。そして整形外科では原告が抑うつ気分に支配されているのみで、就労能力もあり、改善の見通も原告の努力次第と強く気力をもつようにはげまし、機能訓練に積極的に参加するよう勧めた。しかし、原告は症状が重症で機能訓練に耐えられないと繰り返し主張し、右訓練に対して拒絶反応を示すのみであつた。また、精神神経科では原告の脳波に異常が認められたので、脳波異常が原告に前記のような異常感覚、心気的症状をもたらす原因ではないかと推測したが、担当医は頸椎捻挫により脳波異常は発現しないと考えていたので(しかし頸椎捻挫と脳波異常が全く無関係のものではなく、頸椎の損傷が脳幹にまで影響を及ぼし、脳波異常を現出する可能性があることは原告の場合にも既述の診断経過に照らし否定できないと思われる)、原告の前記自覚症状を外傷性の頸椎捻挫後遺症とは判断せず、頸椎損傷以外の何らかの原因による脳波異常あるいは主因としてはむしろ心気症とでもいうべき外傷後の神経症(一種のノイローゼで、自分の身体のことを非常に心配し、このため身体の不調感を体が溶けるとかの異常感覚としてとらえてしまう症状)によるものではないかと診断した。結局原告は第二回目の入院においても症状不変のまま退院するに至つた。

(七)  その後、原告は現在に至るまで自宅で静養を続けており、相変らず全身が痛い、骨も肉もどろどろになつたみたいなどの愁訴があり、バンドは締めると体が痛いといつて締めず、家族が運動をすすめても、体が苦しいといつて庭内を散歩する程度であり、昼間の時間も半分は寝ており、体重は三七kgに減少している。この間原告は断続的に開業医の診察を受けてきているが、医者はおおむね事故シヨツクによる外傷性のノイローゼと疑つており、現在も愁訴に変化、改善の兆しがみえない。そして原告の受傷後長期間を経過していることおよび多くの医療機関における加療に対する反応などからみて、今後原告の症状が自然治癒することはもちろん、医療により改善することは困難視されるが、原告が最近長期入院した前記小松島赤十字病院の担当医師は何よりも原告において社会復帰への意欲をもつことが症状改善のために望ましく、それにより労働能力の回復も期待できると考えている。なお原告は本件事故にあうまで健康体で、心身に異常はなかつた。

四  原告の傷害および後遺障害と本件事故との因果関係

前記事実関係にもとづき相当因果関係の有無を判断する。

(一)  原告が本件事故により頸椎捻挫(いわゆるむち打ち損傷)の傷害を受けたことは明らかである。被告は本件事故が極く軽微な追突事故であつたから、原告に前記の如き後遺症が生ずるはずがなく、原告の症状ないし愁訴は事故と全く因果関係のない単なる心因性のものと主張する。前記一の証拠によれば、本件追突の衝撃はさほどのものでなく、車両の破損も軽微であつたことが窺われるが、原告は当時追突を予知してこれに対応する態勢になかつたため、その身体に比較的強い衝撃を受けたとみることも可能であるし、いわゆるむち打ち損傷において、追突の衝撃の程度と受傷の程度との相関関係がそれほど緊密ではなく、軽度の衝撃により重い損傷を起す例もあることは経験則上否定し難いから、被告の右主張を直ちに採用することはできない。

(二)  ところで、外傷性頭頸部症候群(頸椎捻挫、むち打ち損傷とも呼ばれる)について医学的に次のような所見が説明されていることは当裁判所に顕著な事実である。すなわち、自動車の追突等によるむち打ち機転によつて頭頸部に損傷を受けた患者が示す症状の総称であり、損傷の部位は頸部の支持組織である頸椎、頸部軟部組織である筋肉、靱帯、神経組織である脳幹、脊髄、神経根などである。患者は損傷の部位によつて種々の病態を示し、損傷の程度は加えられた衝撃にある程度までは比例するが、追突時の姿勢、外力の加わつた方向などにも関係するので、軽度の衝撃によつて重い損傷を起す例もないではない。スピードの遅い軽度の外力の場合には、大部分は主として頸部の軟部組織の損傷による軽微なものが多く、脳、脊髄の損傷によるものは極めて稀れであるけれども、右損傷によつて発生する症状は極めて複雑である。その訴える症状は頭重感、めまい、頸部痛、頸部運動障害、頭痛、肩凝り、感情不安定、不眠、吐気、手足のしびれ感、耳鳴り、難聴等多種多彩であり、これらの症状は受傷後早期に現れるものもあれば、外傷から相当遅れて出現することも稀れではない。そして患者は、他覚的所見が比較的乏しいのに、種々多様の苦痛を愁訴するのが特徴である。すなわち、症状の多くのものは客観的所見(他覚的)に乏しく、主観的愁訴(自覚的)が主体をなしている。さらに、その症状は明確にされる器質的、機能的障害などの身体的な原因によつておこるばかりでなく、右障害を明確にできない症状については被害者の潜在的、心因的な要素による影響が強くみられると一般にいわれている。患者は外傷を受けたという体験によりさまざまな精神症状を呈し、患者の性格、家庭的経済的条件、医師の言動等によつて患者の心理状態はいろいろ影響を受け、加害者に対する不満、医師への不信、あるいは家庭内葛藤などが意識下の心因的な原因となつて症状を誇大に意識したり、まだ存続していると思い込んだり、多様な症状を自覚し、これを他人に訴え、かつ自ら労働不能と信じ込んで働こうとしない状態など、症状がますます複雑頑固になり、外傷性神経症として治癒が遷延する例も多い。このように、身体的原因による極めて多種多彩な自覚的愁訴に精神的因子が加重されて、治療を長期化にすることも稀れではないが、衝撃の程度が軽度で、損傷が頸部軟部組織にとどまつている場合には、入院安静を要するとしても長期間にわたる必要は少なく、以後は多少の自覚症状があつても、日常生活に復帰させたうえ、適切な治療を施せばおおむね三ケ月以内に通常の生活に戻れるのが一般である。

(三)  そして前記事実経過にもとづき考察すると、原告が別表8の鈴木医院で治療を受けた当時までの症状はおおむね外傷性頸部症候群による症状として説明しうるものであること、頸部には継続して運動制限、圧痛があり、頸部軟部組織の損傷に起因するものとして他覚的にも異常を認めうること、追突時の衝撃の程度から推定すると、本件事故による原告の受傷の程度は頭頸部の軟部組織に軽度の損傷が生じたにすぎず、適切な治療が施され、心因的要因に影響されることがなければ、器質的障害は鈴木医院の入院時には治癒しているはずのものであるが、現在に至るも脳波、平衡機能検査の結果、軽度ではあるが異常が認められ、しかもその異常部位は脳幹等の中枢性因子をも考慮しなければならないと指摘されていることなどからすれば、原告は本件事故により頸部軟部組織のみならず、脳幹部等にも障害を受け、このため治癒が長期化した疑いも否定できないと思われる。しかしながら、前認定の原告の自覚症状(特に受傷後六ケ月を経過して後のもの)は外傷性頭頸部症候群による愁訴としては極めて特異なものであり、現在に至るまで、きわめて長期間にわたり、治療を受けているが、その症状にはさしたる変化はみられないこと、臨床検査の結果でも格別の他覚的所見は認められず、担当医の大部分は原告の自覚症状の発現について心因的要素が相当強く作用しているものと考えており、また原告は情緒安定度の減退も顕著で、医療に対する不信感も大きく、また自己暗示を受け易い性格であることが窺える。これらの諸事情を総合して考えると、原告の前記症状は本件事故による頸椎捻挫にもとづく続発的症状を基底とするものであるが(少くとも、本件事故そのものと無関係な原告自身の人格にのみによる神経症状の発現とは認められない。)、これが容易に完治せず、治療期間が長びいていることに関しては、原告の精神状態に起因する心因性の要素(この心因的要素は頸椎損傷と原告の性格との二面性に由来する)が大きく加わつて症状を複雑かつ頑固にしていることも否定できず、症状固定時以後の愁訴は受傷を契機に原告の性格等の心因性要素が関与して二次的に引き起こされた後遺障害としての外傷性神経症であると認められる。

(四)  そこで、これらの原告の症状と本件事故との間の因果関係について考えてみると、外傷としての頸椎捻挫により生じた直接の障害およびこれによる続発的症状が本件事故と相当因果関係があることは明らかである。しかし、その後の神経症についても、右受傷を契機に発現したものであり、頸部損傷の結果に心因性要素が加わつて症状が複雑、頑固な神経症となる事例が必ずしも稀れでないことは前記のとおりであるから、神経症にもとづく症状であるからといつて直ちに因果関係を否定すべきでない。むしろ、このような神経症状も本件のような事故によつて通常生ずることが予想されるとみるべきであり、症状の全部又は一部が心因性の神経症状であつても、頸椎損傷と心因性要素との競合により発現しているものとして、直接の受傷の程度、神経症の内容、程度およびこれに影響を与えた諸事情に照らして相当な期間および範囲については因果関係を肯定するのが相当である。そして、前記のような臨床結果からすると、原告の症状は原告が鈴木医院を退院した昭和四六年三月頃にはほぼ固定したものと認めるのが相当であり、右の時期以後に原告が受けた治療については、むち打ち機転により神経症状が頑固に発現しやすいことを考慮すると、その必要性をにわかに否定することはできないが、原告の特異な自覚症状の内容、治療経過、治療時における原告の自発性の減退、医療への不信、治療の有効性に問題があつたことなどを考え合わせると、後記のとおり、これをすべて本件事故により生じた損害と認めるのは相当でないと解する。また、原告は前記外傷性神経症によりその労働能力は相当の程度制限を受けていたとみるのが相当であり、症状固定時以降の右後遺症は、前記認定の諸事情を考慮すると、いわゆる自賠責保険後遺障害別等級表第九級に該当する程度のものであると認める。そして右後遺症の程度、原告の愁訴の内容が特異なものであり、前認定の経過よりして、原告が意識的に誇張して症状を訴えているのではないとしても、かなりの部分は原告の性格特徴による自発性の減退が主たる原因をなしているとも考えられること、何よりも原告の社会復帰への意欲により労働能力の回復が期待されることなどの諸事情によると、心因性要素の強い原告の後遺症については、それによる労働能力制限期間を事故発生時より起算して五年間(昭和五〇年一月三〇日まで)と認め、かつ右症状固定後に発生した損害についてはそのうち六割の限度で本件事故との相当因果関係を認め、その限度においてのみ被告に賠償責任を負担させるのが相当である。

五  示談契約の効力について

成立に争いのない乙第一号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第五三、六二号証、証人徳川国義の証言および原、被告各本人尋問の結果によると、原告は昭和四五年二月五日より加川医院に通院して本件事故による頸椎捻挫の治療を受けていたが、昭和四五年三月三日原、被告間に本件交通事故による損害賠償として、被告が原告に対し休業補償二ケ月分金一五万円と右休業期間中の治療費全額を支払うことにより一切を解決することにし、右以外に請求しないとの示談(和解)契約が成立したこと、当時原告は主として頭痛を訴えており、右症状は事故発生から数日して出現したもので、昭和四五年二月五日に加川医院で診察を受けたところ、むち打ち損傷で全治約一ケ月を要するとの診断であつたので、右示談当時、被告は一ケ月分の休業補償の支払のみで我慢してほしいと求めたが、原告が余裕をみて二ケ月にしてくれと要求し、前記のとおりの示談内容となつたこと、従つて、原、被告とも原告のむち打ち損傷は遅くとも事故後二ケ月で完全に治癒すると信じ、これを前提として右示談契約をしたものであること、ところが、原告の病状は右二ケ月を経るも予想に反して一向に好転しないのみならず、原告は前記認定のとおり入通院を繰り返したが、それでも容易に治癒せず、事故後約一年を経て症状が固定した後も外傷性神経症の症状が続き、前記のとおり少くとも事故発生時より起算して五年間は本件事故による頸椎捻挫ならびにこれを基底とする後遺症としての外傷性神経症のために就労制限の状態が続いたこと、原告において右示談成立当時に右のような結果を予見できたならば前記のような内容の示談には応じなかつたであろうこと、被告も原告の病状が予測に反して悪化し、治療が長びいたことに伴い、前記示談契約で定めた分以外の損害賠償金を右二ケ月間が経過した後において昭和四七年一二月頃まで支払つてきていることが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

そして傷害による損害賠償の示談において、傷害の程度、治癒期間、後遺症の有無に対する認識予見は通常その意思決定をするについての重要な前提事実をなすものというべきであるから、その前提を著しく誤認してなした示談契約は要素の錯誤があるものと認めるのが相当である。右認定事実によれば、本件示談契約は、原、被告間において、原告の受傷が二ケ月の休業によつて容易に全治する程度のものであることを前提とし、その点につき双方間に何らの争いもなく締結されたものであるのに、事実はこれに反し、原告の受傷の程度は著しく重大なものとなつたのであるから、かような争いなき前提事実に右のような錯誤が存する以上、前記示談契約は、原告の主張するとおり、要素に錯誤があるものとして無効といわなければならない。

六  損害

そこで原告の本件事故による損害額について判断する。

(一)  治療関係費

成立に争いのない乙第一一、一四、一六、一八号証、証人徳川国義の証言および原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一〇ないし一二号証の各一、同第四〇、四一、四四、五三号証、同第一四号証の一ないし五、同第一七号証の一、二、同第三〇号証、同第一八号証の一、同第二九、六〇、三五、五八、五九号証、同第六一号証、同第六三号証の一、二、同第六六号証の一ないし三、同第七七号証、同第一五号証の一、二、同第一九号証の一ないし三、同第二〇号証の一、二、同第二八、三三、三四号証、同第六四号証の一、二ならびに調査嘱託の結果によると、原告は本件事故による傷害の治療として別表1~21のとおりの治療、療法および服薬を受け、その治療等額および費用負担者は別表に記載のとおりであることが認められる。しかし、前認定のとおり、原告が本件事故により受けた頸椎捻挫の傷害は昭和四六年三月二四日頃にはその症状が固定したというべきところ、右時期以降の治療については前摘示のような問題点があつたことを考えると、原告が右時期以後治療に要した費用は昭和五〇年一月三〇日までの分につきその六割を限度として本件事故と相当因果関係にある損害であると認め、その余の分については、これを本件事故により生じた損害と認めないことにする。そうすると、原告は、別表1ないし8、15、16、19、20のとおり、本件事故後昭和四六年三月二四日までの治療関係費として合計金四八万二、七八八円を要し、次に、別表9、10、12、17、18(別表11の治療費は相当性に疑問があるので除外する)のとおり右時期以降から昭和五〇年一月三〇日までの治療関係費として合計金二一万五、五五〇円を要しているが、この部分については前記のとおりその六割相当額の金一二万九、三三〇円が本件事故による損害というべきであるから、結局、原告の治療関係費の損害は合計金六一万二、一一八円となる。

(二)  入院雑費

原告が事故後昭和五〇年一月三〇日までの間に三九一日間入院したことは別表のとおりであり、右入院期間中一日三〇〇円の割合による入院雑費を要したことは、経験則上これを認めることができるが、右費用の内金九万六、六〇〇円(症状固定時以降の分は六割相当額とする)をもつて本件事故と相当因果関係があるものと認める。

(三)  通院等交通費

証人徳川国義の証言、原告本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第二四号証の一ないし九二、同第二六号証の一ないし一三、同第三一号証によると、原告は事故後昭和五〇年一月三〇日までの間通、退院および入院中外泊のため合計金九万二、七五〇円の交通費(タクシー代)を要したことが認められるが、右費用の内金八万八、六八四円(症状固定時以降は六割相当額とする)をもつて損害と認める。右金額を超える交通費については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

(四)  逸失利益

証人徳川国義の証言、原告本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第三六、五二号証と調査嘱託の結果によると、原告は事故当時三五歳で、徳島市佐古一番町の日本テーラー株式会社徳島に勤務し、事故前三ケ月間で一ケ月平均約六万六、九〇〇円(右期間の総賃金二〇万〇、七七〇円)の収入を得ていたが、昭和四五年二月五日から昭和四六年三月二四日(症状固定時)まで前述のとおり休業を余儀なくされ、その間合計金九一万四、三〇〇円の収入を失なつたことが認められる。次に労働能力低下による逸失利益であるが、前記認定のとおり、原告は前記症状の後遺障害により、症状固定時から約三年一〇ケ月(事故発生時点から五年間)にわたつて労働能力を制限され、その間の労働能力喪失割合は三五%と認めるのが相当である。そのうち被告に賠償を求めうるのは六割相当額であるから、原告の右期間中の後遺障害による逸失利益は金六四万九、五三二円と算定される。従つて、原告の本件事故による逸失利益は合計金一五六万三、八三二円である。

(五)  慰藉料

原告の前認定の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた精神的肉体的苦痛に対する慰藉料は金二五〇万円が相当と認める。

(六)  損害の填補

前記(一)ないし(五)の損害は合計金四八六万一、二三四円となるところ、原告が自賠責保険金として金六九万円、労働者災害補償保険法にもとづく休業補償給付として金七四万一、七二二円、被告よりの弁済として金一五二万一、〇〇九円、右合計金二九五万二、七三一円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。従つて、右損害填補により、原告の損害額は金一九〇万八、五〇三円となる。

(七)  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は金二〇万円とするのが相当であると認められる。

七  結論

以上によれば、被告は原告に対し本件事故による損害賠償として金二一〇万八、五〇三円、およびうち弁護士費用を除く金一九〇万八、五〇三円に対する本件不法行為の後である昭和四五年一月二九日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で正当であるから認容し、その余は失当であるから棄却することにし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九四条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田清臣)

治療経過等一覧表

〈省略〉

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